もう40代…の、シングルマザーみなみの日記。

男児2人と元気に暮らしています。

ご恩と奉公。

特別親しい関係を除き、人は損得勘定で動くよね、ということを書こうと思っていたと時に、為末大さんのこんな記事を発見。

恩がわからない人 | 為末大・侍オフィシャルサイト

 

人間関係の多くは一種こういった「義理」で動いているよなぁと深くうなずいてしまった。

私は比較的、「義理堅い」(自称)なので、人に何かをしてもらったら、何らかの形で早く返したくてしょうがない。

それは労働対価かもしれないし、ささやかなお礼というお菓子かもしれない。とにかく「借りっ放し」が気持ち悪くてしょうがない。

そして反省すべきは、職場上での恩を、「いつでも返せるかな」と思ってなかなか即時返すことができていないということ。これは大いに反省。毎日会う職場の人たちだからこそ、120%の気持ちを返さないといけないと、この記事を読んで深く深く反省。月曜日から気をつけよう。本当に。バカバカ自分。

反面、プライベートでは、あんまり「貸した恩」(そもそも「貸した」という意識はないんだけど)はすぐ忘れる。

例えば、無償で自分の特技を活かして仕事をしたり、ささっと文章を書いたり...。あ、わかった、あまり苦にならないことだからだな。そうだそうだ、そうに違いない(笑)

後は、結婚祝いや内祝いを送ったりするのは日常茶飯事で、これは金銭的「恩」ということになるんだろうか。

すぐお返しを送ってくれる友人もいれば、何も反応がない友人もいるけど、どんな反応でも、おめでたいことには変わりないのであまり気にしない。

こういうことは贈り手の勝手だし、こっちが送りたくて送っているのだから、相手の反応がどうであれ、気にするのは野暮というものでしょう。

何の反応もないと、さすがにちょっと気になるけど、それをいちいち覚えているほど脳のキャパが大きくないw。

※1人だけ、年上の友人に、私に対して過剰なばかりの愛情(高価なプレゼントであったり、高級なレストランであったり)を注いでくれる人がいるんだけど、その人がくれる「恩」に対して、私があまりにもささやかなお返ししかできていないので、自分が気持ち悪くてしょうがない。相手は「いいんだよ、これは僕の満足なんだから」って言ってくれるけど、今度はっきり断らないと・・・。

人と繋がっていたいと思ったら、自然と何かしてあげたいなという気持ちになるものだし、やっぱり「売った恩」も「返されなかった恩」も忘れて、相手に期待しないというのが美しい人間なのかもしれない。

でもねぇ、人間だもの。

こういう「恩」を華麗に、いやもっと問題なのは「無意識に」スルーする輩もいるけど、そういう人は徐々に自分の周りから人が減っていって、1人になって初めて気がつくんだろうな。