もう40代…の、シングルマザーみなみの日記。

男児2人と元気に暮らしています。

自分のまわりの環境と「誰でもいいよ」という矛盾の話。

正月に、勤務先の海外から一時帰国している同級生(♀)とお昼ご飯を一緒に食べた。

 

「よくさ、"出会いがない"とか簡単にいうじゃん?私からしてみたら、日本にいる時点でその台詞は理解できないね」

 

という発言。ごもっともである。

自分は出不精だけど、出会いは多くしようと思っているので、甘えてんじゃないよ、ってな感じ。彼女に激しく同意。

 

もうひとつ、彼女に言われてハッとしたことがある。

 「"年収とか、学歴とか気にしないよ、誰でもいいよ"っていう人いるじゃない? 私もそうだし、その辺を重視して男性を選んだことはないけど、でも、自然と自分のまわりにいる男性が、"高収入""高学歴"だから、そこに疑いを持っていないんだよね。だから、その辺り"信じて"いるから、結果的に"気にしてない"ってことに繋がるんだと思う」

 

本当にその通りだなと思う。

"類は友を呼ぶ"という言葉があるとおり、自分の周りの環境は、自分の価値観とか学歴とか収入とかに同じような属性の人が集まる。

自分が高収入でも、ずば抜けて高学歴だとも思わないけれど、それでも、例えば友人の出身校が、東大、京大、一橋、早稲田、慶応、上智、海外の大学と聞いても、「そうなんですね」というあいづちだし、、その人自身も「すごいね」という発言を期待していない。

収入も、おおよそ勤務先を聞けば類推できるから、そこをつっこんで聞かないし、これまた同じく「すごいね」という言葉を期待していない。

 

おそらく、その人たちの間にいてコンプレックスを感じるか感じないかが1つの分かれ目であり、その感情を抱いてしまった時点で、そこ人たちと一緒にいるのは心地悪いんだろう。

 

私も、背伸びしてちょっと上のクラスの人たちの間にいても、息苦しいだけだし、逆にギャンブルとか、お酒とかの話ばかりの環境だと、どうしてもこの人たちの考え方が理解できない、という気がして、同じく息苦しい。

 

自分も友人も「誰でもいいよ」という気持ちに嘘はない。

でも、それは自分と同じような環境で過ごしている人と同じカテゴリの中では、という形容詞がつく。

 

つくづくわかりにくいね。